名古屋の観光地に行ってきました!!

今回のレポートは、研修旅行2日目、名古屋に来たならば一度は見ておかないと!という事で、名古屋城へ金の鯱鉾を見に行きました。テレビで見るよりもお城 の大きさも敷地も本当に広大で、圧巻でした。ちょうど梅も開花しており、お城の雰囲気を一層引き立てていました。そして、金の鯱鉾は遠くから見てもわかる ぐらい金色に光っていました。さすが、徳川家康が建てたお城だと思いました。

 

広大な名古屋城
広大な名古屋城

 

名古屋城は、関ヶ原の合戦後江戸幕府を開いた徳川家康が慶長14年(1609 年)江戸幕府の東海道の要所として、また大阪(現大阪)方へ備えとして清須(現清須市)から名古屋へ城を移すことを決意し、翌15年(1610年)に着工 し、17年(1612年)に完成させた代表的な平城です。

昭和20年(1945年)5月の空襲で大小天守閣と本丸御殿などが焼失しましたが、焼失を免れた 3つの隅櫓と3つの門、御殿障壁画1,047面が国の重要文化財に指定されています。昭和34年(1959年)に大小天守閣と正門は、ほぼ昔どおりの外観 で再建されました。

 

 梅が開花して情緒を感じられました
梅が開花して情緒を感じられました

 

初の!!名古屋城に突入!!
初の!!名古屋城に突入!!

 

お城の敷地内に入ると、原寸大の金の鯱鉾がありました。凄く大きく初めて見る金の鯱鉾に感動して、思わずパシャリ!!、写真を取りました。鯱を最初 に天守閣に載せたのは、織田信長の安土城と言われています。豊臣秀吉の大阪城や伏見城、徳川家康の江戸城、駿府城には金鯱が飾られていたようです。しか し、これらの天守閣は火災にあったり破壊されたりして、江戸中期頃には名古屋城だけが金鯱を持つお城となったそうです。

 

何で?天守閣に鯱を置いたのかと?疑問に思い調べてみました。
鯱は古くから中国に伝わる伝説の海獣「シビ」から転化したと言われています。その「シビ」はインドの「マカラ」という神格化された想像上の動物が起 源だという説もあります。昔、日本や中国では火災が起きると消化する方法が一切ありませんでした。そのため、すべてを焼き尽くす火災は人々から大変恐れら れていました。そこで、剣鉾のような鋭いひれを持ち、虎のように凶暴で鯨まで切り裂いて食べてしまい、さらに泳げば大波を立てて雨を降らせると信じられて いた「鯱」は高層建築の天守閣にうってつけの飾りでした。また、干つばに苦しまないように天に一番近い建物の最上部に水に緑のあるものを置いたともいわれ ているそうです。

 

原寸大です!!
原寸大です!!

 

金の鯱鉾と
金の鯱鉾と

 

(笑)
(笑)

 

お城の中に入ると、1521年~2005年の名古屋城の歴史を「水の章(1521年~1616年)」、「華の章(1617年~1860年)」、「炎の章 (1864年~2005年)」として年表形式で見れるようになっていました。重要文化財の本丸御殿障壁画やその模写作品、刀・よろい・かぶと・火縄銃など が展示されていました。

 

 

最後に天守閣からの眺望もなかなかでした。曇ってたのが残念でしたが、名古屋の街を一望できました。

 

もしも、名古屋に行かれる機会がありましたら、日本の歴史を振り返ってみるのもいいかもしれません。是非行ってみて下さい。お勧めです!!